インタビュー

旅好き女将のシェアを楽しむ地域のなりわい
村山市 坂井 奈緒さん

PROFILE/米屋こめやかた/食堂もちやかた/山形ゲストハウス 坂井 奈緒さん

1977年、村山市生まれ。
イギリス人の夫(サムさん)、娘、両親、兄家族の9人家族。
村山市で代々続く米農家に生まれ、高校卒業後は専門学校に通うため東京へ。
バックパッカーとして様々な国を旅したのち家業である米屋「こめやかた」を継いで、農業、食堂、ゲストハウスを家族とともに営む。
平成31年4月に、「食堂もちやかた」をオープンし、餅文化をユニークに発信中。
令和5年4月には、村山市内の旧校を活用した『にぎわい創造活性化施設Link MURAYAMA』内に「山形ゲストハウス」をオープン。
新たな形で宿泊者の受入れを行っている。

学生時代の夢をお聞かせください。

高校時代、映画の楽しさに目覚め、ゼロから作り上げて感動を与える映画の世界に魅力を感じ、「自分で映画を作りたい!」と思うようになりました。
その後、東京の専門学校に進学し、3年間映画について学びました。仲間と一緒に動画を制作したりもしていましたね。
学生時代は農業には全く興味がなく、農村地帯や地元の地域コミュニティからも遠ざかりたいと思っていました。

Uターンして家業を継いだきっかけを聞かせてください。

卒業後はそのまま東京で就職、アシスタントとして日々の生活に追われながら懸命に働きました。いつしか、心も体も消耗しきっている自分に気づき、このままではいけないと、休息を取ってまたやる気をチャージするため実家のある村山市に戻りました。
アルバイトをしてお金が貯まると、旅行しようと思い立ち、友人が住むフィリピンを訪れました。まだまだ知らないことがたくさんあると思い、そこからインドやタイ、カンボジア等様々な国を旅しました。そこで見たのは、みんな基本貧しい中にあっても、生き生きと生命力あふれる姿でした。農村地帯では、家族が寄り添い、支え合いながら生活していて、そんな家族単位の営みを目にした時、自分の中でこんな風景が好きだなと感じました。
「将来家族で出来る仕事がしたい!それは農業だ」と強く思うようになりました。単純にその時自分の目の前にあったのが農業だったこともありますが。それが家業を継いだきっかけです。 農業をしているうちに、0から種を蒔いて作物を育て、提供して感動を与えるこの一連の動作が学生時代に描いていた映画でやりたかったそのものだと農業を通して気づきました。

故郷に戻ってからの生活はいかがでしたか。

農業を始めてからは、「家族でできる仕事」という夢を叶えるため、一緒に農業をしてくれるパートナーを探すものの、家と田んぼの往復だけでなかなか見つかりませんでした。
ある時、アメリカ人の友人の結婚式に参加した際、農業を営むかっこいいアメリカ人女性に、パートナーが見つからないことを相談したところ「奈緒は、どのステージが得意なの?自分のステージは何?あなたに任せられるステージを考えて。」と言われ、やっぱり農業だなと強く思いました。
しばらくして、村山市に住むALTの友人が開くホームパーティに参加した際に、後に夫となるサムくんに会うことができました。
農業中心の生活に共感してくれた彼に出会えたことはとても幸運でした。

食堂もちやかた、山形ゲストハウスをオープンしたときのお気持ちなどをお聞かせください。

世の中から餅つき文化を消したくないと思い、餅をつき始めました。
最初は、少ない量の餅をついて販売する。販路を増やすうちに、餅つきをする広さが必要になったこと、また餅をつくエネルギッシュさ、ついている様を人に見せたいと思い、商店街にある空き店舗のガラス張りのところで餅つき実演を行いました。
見に来たお客さんから、白い餅だけではなくずんだ餅が食べたい、座って食べたいなど要望があり、「食堂もちやかた」をオープンしました。
ゲストハウスの方は、長年やってみたいと思っていましたね。自分が海外で利用したゲストハウスの便利さを知ってからは、なぜ日本ではゲストハウスが少ないのだろう、便利な所を提供したいと思っていましたし、人の集まりを見るのも好きなので。なりわいとして成り立つのかという不安はもちろんありました。開業当時、お客さんはなかなか来ませんでした。でもそれが生活の主体ではなく収入源は他にあるので、気持ちは楽でした。いずれのなりわいも、みんなでやるからできる、このメンツならできる!という根拠のない自信がありました。

なりわいで心がけていること、感じていることを教えてください。

一人では出来ず、家族やスタッフに支えられて続けることが出来ています。
自分はどれも中途半端と思っているのですが、自分の中では1つの仕事から収入を得られるより、様々な仕事をした方が自分のスタイルに合っています。
なりわいは、自分一人だけで頑張っている訳ではなく、スタッフそれぞれ得意な分野のステージがあるので任せるようにしています。
また、人や家族とのつながりも大事にしています。

なりわいを通して、地域とのコミュニケーションはどのように取っていますか。

家業である米屋は明治30年から続く老舗であるためアドバンテージがあり、地域の方々はみんな知っていてくれます。
学生時代は、それが逆に嫌だったこともありますが、今は本当に地域のコミュニティに助けられていますし、このような地域に密着した感じが好きと思えるようになりました。今となっては「おせっかいかな」と思えることもありますが、地域を歩く人や買い物に来た方などによく声を掛ける自分がいますね。

これからやってみたいこと、今後のビジョンを教えてください。

これまで様々な人に助けられているので、役に立つおばちゃんになりたいです。ここ村山市にあるゲストハウスでリラックスして話をしてほしいです。なりわいを大きくしていきたいという気持ちではなく、10年、20年後の未来を作るのは今いる私たちなので、未来のことはわかりませんが考えて行動していきたいと思っています。

村山市を一言で言うと?

これ言うと怒られるのですが(笑)村山市は何もないところがいいところだと思っています。
余白があって、たくさんの可能性を秘めています。また、なければ努力する気持ちも養われます。
村山駅の西側にど~んと見える山々、そして田畑の景色がとても好きです。新幹線が停まる駅でこのような景色が見えるところは少ないと思います。
これからも村山市を好きな人が増えてくれればいいですね。